唐古・鍵遺跡 (第93次調査)                                 15年10月25日

唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた標高約48.0m前後の沖積地に営まれた弥生時代の環壕集落の跡である。
なかでも平成3年の47次調査で出土した土器に2階建て以上の高層建築が描かれたものは、全国的にも類例を見ない建物で、弥生時代に楼閣風の高層建築があったことを証明する画期的な発見騒がれたことは考古学ファンにとって記憶に新しいものです。
右の写真はその絵を基に復元されたものです。





今回は第93次調査の発表で概要については以下に記述していきます。

調査地は環濠内部の西地区にあたり、弥生時代中期中頃の大型建物跡とともに、弥生時代中期から古墳時代初頭までの溝や井戸を検出しています。

上の写真は今回の調査地の全体画像です。
右の図とは上下が反対になっています(編集が下手ですいません)。黄色い線が大体大型建物跡の外周でしょうか。
大型建物跡は北東から南西方向に軸を持つ梁間2間(6m)×桁行6間(13.7m)の建物です。
独立棟持柱をもたない長方形の建物で床面積は82.2u(約50畳分)もあります。
柱列は建物中央と東西両側の3列に並び、中央柱列は6本、東西両側の柱列は基本的に7本の柱があります。
東側の柱列には7本の間にさらに3本の柱が据えられています。
この点については、基本となる7本の柱と間の3本の柱では柱根底面の深さが前者より後者のほうが浅いことから、後者は後で添えられた柱と考えられる。
残存する柱根の太さは最大で径80cmもあり、弥生時代の柱としては最大級のものです。
これらの柱材はすべてケヤキ材です。またこの柱を据えるために掘り込まれた柱穴の大きさは長さ3m、幅1.5mもあります。
大型建物は柱穴から出土した土器から、弥生時代中期中葉(紀元前2世紀頃))に建てられたと考えられます。

東柱4の写真です。
これが2番目に大きいものでしょうか。

これが西柱1の写真です。ちょっけい80cmもある大きなものです。
何故か斜めに倒されています。
これ1本だけだから人為的なのか、自然倒壊なのかどっちだろう。

10月17日の京都新聞にはこの遺跡の記事として以下のような記述がありました。
「百余国」時期に大集落  唐古・鍵遺跡 弥生で最大の柱
国内最大級の環濠(かんごう)集落跡、唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町、国史跡)で、弥生時代中期中ごろ(紀元前2世紀)の高床式大型建物遺構が見つかり、同町教委が17日、発表した。使われた柱の直径は80cmあり、武庫庄遺跡(兵庫県尼崎市)出土の柱に並び弥生で最大。
唐古・鍵遺跡は、中国の漢書地理志が伝える邪馬台国以前の「百余国」の有力候補とされ、前3世紀末−前2世紀初めに環濠を巡らせ大集落が成立したと考えられているが、その時期の大型建物遺構が見つかったのは初めて。
近くでひすいの勾玉(まがたま)なども出土した。町教委は「補修跡があるから神殿ではなく、首長の館など中枢施設の一つだろう。弥生集落の核心部分を解明する重要な資料」としている。
遺構は遺跡のほぼ中心で見つかり東西m、南北13・7m。建物の周囲だけでなく内部にも柱を立てた総柱式で3列、23カ所の柱穴が見つかった。うち18カ所は柱の下部が残っていた。
柱は直径45−80cmで、清水寺(京都市)の舞台を支える柱に匹敵する太さ。最も太い柱は長さ1m以上あり、町教委は「かなり高層の建物だった可能性がある」としている。
東側に並んだ柱穴のうち3つは浅く、補修のために立てた添え柱と判断した。

ここでいう「3つの浅く、補修のために立てた添え柱」とは間柱10,11,12のことです。



関連情報として以下の内容を紹介しておきます。
復元楼閣の構造

楼閣は高さ12.5mの二階建てに復元しました。建てられた場所は唐池の西南隅となっていますが、これは戦前の発掘調査の際に弥生時代の生活遺構が完全に失われており、遺跡の保存上問題がないと判断されたためです。

柱は4本で、太さ50cmのヒバ材を使用しました。屋根は茅葺きで、丸太で放射状に押さえています。壁は外面が網代壁、内面が板壁です。

唐古・鍵遺跡の建物の絵に特徴的な渦巻き上の屋根飾りは藤蔓で作り、梯子は刻み梯子で復元しています。

土器に描かれた屋根の逆S字状の3本の線は渡り鳥と解釈し、木製の鳥を東西両面にそれぞれ3羽ずつ設置しています。

         (田原本町教育委員会現地パンフレットより)









ロマン

今回、径80cmの大型建物跡が発見されたことで、唐古・鍵遺跡では2例目です。
弥生時代の集落(ムラ)としては大規模集落といってよいでしょう。 弥生時代の集落でこういった建物遺構が見つかってきたことで更なる発見が期待できます。
それに、楼閣などの柱跡などが見つかればこれまでの弥生時代のイメージが一新されることも期待できる。
唐古・鍵遺跡は広大です。  今後の発掘が楽しみで仕方がありません。





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