■ 百舌鳥古墳群■
 私は大阪湾で魚釣りをするとき阪神高速湾岸線の助松インターで一般道路に降ります。何故かというと助松を超えると高速料金が変わるからと釣り餌店がすぐにあるからです。
魚釣りをするときには魚釣りのみに没頭するためここの左手後(北東側)に日本最大の古墳があることなど考えたこともありません。しかし、毎月そばを通過しているのです。

今日はJR阪和線の百舌鳥駅で降りて歩くことにしました。
百舌鳥古墳群 とは東西・南北約4Kmにわたって、100以上の古墳が点在していたと考えられるが、現在は40基ほどしかない。
この中で最大のものを
大山陵古墳(細かい話は「古墳ってなんだ」を参照)という。
かつては
仁徳天皇陵とよんでいたのですが、今は被葬者が特定できていないため、呼び方も地名から古墳名を決めているのが一般的になってきました。また日本書紀に百舌鳥古墳群のあるあたりは、百舌鳥野と呼ばれてきましたが、
仁徳天皇が行幸したとき鹿が突然野原から飛び出してきて一行の中に入ってきて倒れて死んだ。鹿が急死したので、その傷を探ると、百舌鳥が耳から出てきて飛び去った。それで、耳の中を見ると、すっかりことごとく食い裂かれ剥がれていた。それで、その場所を名付けて百舌鳥耳原という。
従って大仙古墳を百舌鳥耳原中陵ともいう。ここで中という文字がついているのは南陵と北陵があるかです。
南陵は日本で3番目に大きな前方後円墳で、百舌鳥耳原南陵、ミサンザイ古墳、石津丘古墳とも呼ばれている。
被葬者は
履中天皇ではないかといわれているがこれもはっきりした根拠があるわけではない。
北陵は百舌鳥耳原北陵、田出井山古墳とも呼ばれの墓ではないかといわれているがこれもはっきりした根拠はない。
これら3古墳を百舌鳥耳原三陵といいます。

 この百舌鳥古墳群とその東の古市古墳群が築かれた時代(4世紀末〜6世紀後半)は、中国の史書「宋書」に見える「倭の五王」(讃・珍・済・興・武)の時代で、これらの大王達の墳墓がこの百舌鳥・古市古墳群であろうとされている。
倭王「讃」が仁徳天皇であるとか履中天皇であるとか色々な説もあるが確定的なものでなく、時代的に一致しているということにとどめておきます。

その他の古墳
・ニサンザイ古墳 、この古墳が反正天皇陵とする説もある。
・いたすけ古墳
・御廟山古墳
・銅亀山古墳、 大山古墳(仁徳天皇陵)の西南で大阪女子大学の入口を入った所にあります。
・源右衛門山古墳
・塚廻古墳
・収塚古墳
・孫太夫山古墳
・竜佐山古墳
・狐山古墳
・七観音古墳
・旗塚古墳
・グワショウ坊古墳
・銭塚古墳



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