旧柳生藩家老屋敷、芳徳寺、天石立神社、一刀石
奈良から来たバス道を少し戻ったところから右手前方に、先ず目に付いたのは十兵衛杉だった。
柳生十兵衛が諸国漫遊に旅立つ時、中宮寺の先祖の墓に参り、一本の杉を植えた。それが30mにも育ったが昭和47年の落雷により枯れてしまった。
今は枯れた幹だけが残っているだけだった。

近くまでは行かず、左手に曲がって細い道を数分歩くと右手の高台に石垣とその上に大きな旧家が見えてきた。
ここは旧柳生藩家老屋敷(県文化)で小山田主鈴の旧邸であり1848年に建築された。
石垣は天保12年(1841)尾張石工が築いたと刻まれていましたが、一部膨れだしており地盤のゆるみが感じられた。
一時子孫が離れ空家になっていたが1964年に作家の山岡荘八が買取り修復した。
山岡氏はしばしばここに滞在して、 小説の構想を練ったといわれている。 その死後、 1981年に遺族から奈良市に寄贈され一般に公開されるようになった。 屋敷には小山田主鈴や、旧柳生藩関係の文物、山岡氏の遺品の数々を展示している。
山岡荘八氏の小説「春の坂道」がNHKの大河ドラマで放映されたときは一躍有名になったものである。

旧柳生藩家老屋敷から南東の方向に(直線的には歩けない)山裾まで行くと細い川があり、これを渡って山の中腹まで登ると芳徳寺(臨済宗)がある。 正式には神護山芳徳寺と言い、柳生但馬守宗矩が亡父柳生石舟斎宗巌の菩提を弔うため、沢庵禅師を開山として開いた寺である。
本堂には柳生宗矩木像や沢庵禅師木像が安置されており、資料室には柳生家ゆかりの品が展示されてある。寺の裏側の細い道を少し下ると松林の中に柳生家の墓地があり誰の墓か分かるように札が立ててあります。

ここから南東の方向に細い山道を登ること15分ぐらいの静寂な所にある天石立神社に着く。
緑の濃い杉林の中に巨岩が点在しており、ここに天照大神が天岩戸に隠れた時、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が力いっぱい引いた岩戸が宙に舞い、落下したとされる巨岩をご神体としてまつっている。
この巨岩は京都笠置から一連の岩石と見てよい。

更に奥に進むと真っ二つに割れた巨岩がある。これは柳生石舟斎が天狗と戦った時、天狗だと思って切りつけた岩で、翌朝見るとまっ二つに割れたという伝説がある"一刀石"である。

最後に自己紹介の写真ですが「錦生醸造合名会社」でここの酒で「あらばしり」と「生吟醸、春の坂道」を買って帰りました。
柳生家の墓
一刀石
柳生の食堂
第64回(仁徳天皇陵)



第66回(談山神社)
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