順徳・後鳥羽天皇

京都市左京区大原

 順徳天皇と後鳥羽天皇の関係は後鳥羽天皇が父親で藤原重子との間に生まれたのが順徳天皇である。
後鳥羽天皇の父親は高倉天皇で、ちょっと日本史に明るい人でしたら平家物語などで有名な?安徳天皇のお父さんです。
安徳天皇の母親はこれも平家物語で有名な建礼門院(平清盛の娘、徳子)ですが、後鳥羽天皇の母親は平徳子でなく藤原殖子(しょくし)なのです。つまり安徳天皇とは異母兄弟ということになります。
 この時代をもう少し詳しく考えてみると、後鳥羽天皇は1180年の生まれで、平安時代の終焉の時であり、この年源頼朝ら源氏の蜂起の年である。
父親の高倉天皇は1181年21歳の若さで死亡しているため、1183年に安徳天皇が即位しているが、安徳天皇は源平の戦いで平家と共に京都を離れ壇ノ浦で亡くなっている。
京都に天皇が不在のため高倉天皇の父である後白河法皇は新天皇を立てた。これが当時4歳の後鳥羽天皇である。
重要なのは日本に二天皇が存在したことである。
 後鳥羽天皇は1198年から院政をひき上皇となる。上皇は事あるごとに鎌倉幕府の勢力を抑えておこうと策していたが、1219年武力による幕府倒伐を実行することになった(承久の変)。
この上皇の意に賛成したのが息子の順徳天皇であるが、1221年4月には倒幕計画推進のため仲恭天皇に速くも譲位している。
翌月挙兵したが2ヶ月で敗れ、幕府によって佐渡に流された。順徳天皇は46歳で崩御するまでの21年間佐渡で生活を送った。
虚しく過ごした佐渡での生活であるが、庭の片隅に一輪の白いミヤコワスレが咲いているのを見つけて暫くその花を眺めていた。
「都が恋しかったがこの気品ある美しい花を見ていると心が落ち着いて、しばしの間だけでも都を忘れさせてくれる」といわれたという。 佐渡の真野に火葬塚があり京都大原の天皇陵は火葬後、遺骨は京都に運ばれたらしい。

  第75回(高倉天皇陵)                     第76回(奈良県広陵町)


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