寂光院
西の山のもとに一宇の御堂あり、すなわち寂光院これなり。
古う作りなせる山水木立由あるさまの所なり。
「甍破れては霧不断の香をたき、枢落ちては月常往の燈をかかぐ。」
とも、かやうの所をや申すべき。
庭の若草茂り合ひ、青柳糸を乱りつつ、池の浮き草波に漂ひ、にしきをさらすかとあやまたる。
中島の松にかかれるふじ波の、うら紫に咲ける色、
青葉交りのおそ桜、初花より もめづらしく、
岸のやまぶき咲き乱れ、八重たつ雲の絶え間より
山ほととぎすの一声も、君の御幸を待ち顔なり。
法皇、これを叡覧じあつてかうぞおぼしめし続けける。
池水にみぎはの桜散り敷きて波の花こそ盛りなりけれ
ふりにける岩の絶え間より、落ちくる水の音さへも、
ゆゑび由ある所なり。
緑蘿のかき、翠黛の山、絵に書くとも筆も及びがたし。
後白河法王の大原御幸です。五七調の美しい文体にこれ以上書くことはありません。
高倉天皇皇后陵
高倉天皇皇后とは言わずと知れた建礼門院(けんれいもんいん)のことです。
寂光院のちょっと東側に入り口があるのですが、観光客の多くは寂光院が目的で
ここを素通りしていきます。「建礼門院の墓」とでも書けばお参りの人が増えるのに
という感じです。
宮内庁管轄の陵墓の多くは墓石はありませんが、ここは珍しく墓石があります。
所謂神でなく仏としての形態をとっているのが見所です。