石清水八幡宮
石清水八幡宮は木津・宇治・桂の三川の合流点にあり、対岸は大山崎というところ、ここはサントリーウイスキーの宣伝でも紹介されていたように霧の発生が多いところでした(過去形なのは最近あまり発生しないのです)。
当然、淀川を挟んだだけの八幡市も同じような気候です。
さて、この地は京都の南西の裏鬼門にあたることから、859年、清和天皇の命により建てられた。
このことを同神宮の資料によると『石清水八幡宮の創建は平安時代初めの貞観元(859)年、大安寺の行教という僧が豊前国(今の大分県)の宇佐宮におこもりになった際、八幡大神様の御託宣(お告げ)を蒙り、同年男山の峯に八幡三所の神霊を奉安申し上げたことにはじまります。この年、清和天皇の御命令を承けた木工寮権允橘良基は、すぐさま、この地に本殿三宇・礼殿三宇から成る六宇(ろくう)の宝殿を造営し、そこに八幡三所大神が正式に御鎮座になりました。翌年貞観2(860)年4月3日のことでした。』ということになるんですが難しいですね。
祭神は、八幡三所大神で本殿中央に誉田別尊(ほんだわけのみこと)つまり応神天皇、西に比淘蜷_(ひめおおかみ)、東に息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)つまり応神天皇の母親神功皇后(じんぐうこうごう)です。
それともう一つ現在の社殿は、徳川三代将軍家光によって寛永11年(1639)に造営された。
これだけの知識で一番目に訪れたのですが、徒然草の仁和寺の法師の様にならないよう、男山の頂上?まで歩いて登ってきました。途中『涌き出ている霊泉"石清水"』があり社号由来の湧き水かと思いながら登りました。
ケーブルカーもあるのですが元気であれば歩いた方がよいでしょう。30分足らずです。(京阪電車さん営業妨害でしょうか、お許し下さい)
社殿手前の左側にエジソンの記念碑があります。なんか場違いみたいですが、実はエジソンが発明した電球のフィラメント部分がこの男山に生息する真竹を炭化させて作られたということで、ここからは私の想像なのですが、八幡市の町おこし(当時こういう言い方はなかった)のためにエジソン記念碑を作ろう。記念碑を作るのなら八幡市で一番有名なところ、八幡宮の境内にしよう、とか何とかじゃないでしょうか。

飛行神社(ひこうじんじゃ)
大正4年二宮忠八が自邸内に世界中の航空殉難者の霊を祀るために創始した神社ですが飛行神社の看板がなければ見過ごしてしまいそうです。
建物が全然神社らしくないのです。洋風建築の中で流石、本殿だけは神社建築でした。
祭神は空の神と言われた「饒速日命(にぎはやひのみこと)」右に航空殉難者の霊を、左には薬業に関係深い薬祖神を祀っている。
由緒について、神社の説明書には「当神社は明治24年(1891)4月29日に世界に誇るゴム動力プロペラ式飛行器の飛翔実験に成功した二宮忠八が、後進の航空殉難者の尊霊を慰めるべく崇め祀った神社である。」とあった。
「飛行機」が「飛行器」という文字にしているのが何かを感じさせる。

八角院・西車塚古墳
八幡市八幡荘式部谷にある前方後円墳で全長115m、後円部径80mで後円頂部に八角院という仏堂があります。
出土品は三角縁神獣鏡・盤竜鏡・画文帯神獣鏡・彷製六獣鏡・彷製品規矩鏡そのほか多数だそうです。


松花堂・東車塚古墳
八幡市八幡荘志水にある東車塚古墳は全長推定90mの前方後円墳で,現在松花堂庭園となっており後円部が築山として利用されている。
内行花文鏡・三角縁神獣鏡などを出土している。
松花堂とは松花堂弁当で知られている松花堂のことですが、ここでいう松花堂とは江戸時代、石清水八幡宮の社僧で茶道や作庭に優れていた寛永三筆の一人である松花堂昭乗(しょうかどうじょうじょう)が男山滝本坊の泉坊に建てた書院・茶室松花堂・庭園を明治時代に現在地に移築したものである。
 庭園は内園と外園に別れており、内園は東車塚古墳を結果として(当時古墳と認識されていなかった)利用して造られ、男山にあった泉坊の一部と草庵の茶室である松花堂がある。
外園には、昭乗の遺品や彼が生きた時代の美術・工芸品を中心に展示する資料館と松隠、梅隠、竹隠と呼ばれる3つの茶室がある。

    第68回(近江神宮)                             第70回(瓢箪山稲荷)


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