伏見散歩  (第128回)                                  18年12月16日



 平成18年最後の例会となりました。今回は京都市伏見区の探検です。
調べてみれば伏見を歩くのは5回目となります。歴遊会の若い会員には初めての方もいらっしゃるかもしれませんが。
今回はその昔遊郭があったといわれる京阪電車の中書島駅を出発し近鉄竹田駅まで歩くことにしました。












寺田屋前景

寺田屋
 中書島駅から飲食店街を通って最初に訪問したのは歩いて5分足らずで行ける寺田屋です。
寺田屋騒動
 1862年5月29日(文久2年4月23日)、薩摩藩藩主の父の島津久光によって粛清された事件。
藩兵千名を率いて上洛した島津久光は、尊王派の期待の星だった。
しかし、久光には倒幕の意志はなく、公武合体がその路線であった。
このことに不満を持った薩摩藩の有馬新七等は、関白九条尚忠、幕府の出先機関である京都所司代の酒井忠義邸を襲撃し、島津久光を説いて薩摩藩の兵を味方にして京都を占領することを決定すべく寺田屋に集まった。
ところが、島津久光はこの騒ぎを抑えようと、有馬新七の同志で友人である奈良原喜八郎に慰留させるべく使者として選んだ。
しかし、もう既に計画は実施段階であり慰留は成功するはずがない。激しい斬りあいが始まり、この戦闘によって討手1人(道島五郎兵衛)、有馬ら6名が死亡(有馬新七、柴山愛次郎、橋口壮介、西田直五郎、弟子丸龍助、橋口伝蔵)、2名が重傷(田中謙助、森山新五左衛門)を負った。また2階には多数の尊王派(大山巌、西郷従道、三島通庸、篠原国幹、永山弥一郎など)がいたが、奈良原が刀を捨てて説得した末に残りの尊王派志士たちは投降した。
この事件によって朝廷の久光に対する信望は高まり、久光は公武合体政策を推進していくことになったのだが、明治までの6年は紆余曲折の時代となったのだ。

 その代表的事例は攘夷と倒幕の結びつき、坂本龍馬の働きによる感情的対立関係にあった薩摩・長州の同盟、そして公武合体派から倒幕への動きだろう。

 この頃の京都といえば、島田左近、本間精一郎ら、佐幕派の人間が田中新兵衛、岡田以蔵ら攘夷派の志士に天誅という形で次々に暗殺されていった。
京都に治安維持が必要だった。幕府は京都所司代だけでは治安維持はできないと判断。所司代とは別に京都守護職を置くことにしたのである。つまり、所司代が警察なら、守護職は軍隊のようなものである。
1862(文久2)年11月24日、京都守護職として会津藩主松平容保以下1000人の武士が入洛したのである。













寺田屋内部
もう一つの寺田屋事件
 1866(慶応2)年1月23日、前々日薩長同盟の締結を成功さた龍馬と長州藩士三吉慎蔵らを捕らえようと、伏見奉行配下の官吏が寺田屋を急襲した。
異変にいち早く気づいたお龍は、入浴中にも関われず、素っ裸のままで裏階段を駆け上がり龍馬たちに急を知らせた。
龍馬は所持したピストルを発射して多数の捕り方相手に大立ち回りを演じ、親指に負傷を負いながらも逃げ、濠川(ほりかわ)沿いの材木屋に隠れた。
 一緒に逃げた長州藩士の三吉慎蔵は、諦めて切腹しようとしたが、龍馬はこれを押し留めて伏見薩摩藩邸に行き、救援を頼むよう指示し、自らは手傷を負っていることもあり、薩摩藩の船による救援を待った。
 薩摩藩では、濠川に舟を出し、龍馬を救助して伏見藩邸に匿い、坂本龍馬たちを京都錦小路藩邸へと移し、その後、お龍と龍馬は薩摩藩の勧めで鹿児島へと旅にでた。
この旅行が所謂日本初の新婚旅行であったとされている。
龍馬婦人の「お龍」さん
お龍さんが跳び出した風呂
お龍さんが駆け上がった裏階段
龍馬が泊まってた部屋



油掛地蔵(西岸寺)
 1787(天明7)年京都の俳諧師秋里籬島が著した「拾遺都名所図会」に次のような話があります。
昔、山崎の油商人が荷を担いで、この寺の門前まで来たとき、誤って桶を転がし、油を流してしまった。しばらく茫然としていたが、運命と諦めて、残りの油を地蔵尊に掛けて帰った。
このことがあってから商売運に恵まれ、この男は大金持ちになった。それ以後祈願するときには油を注いで祈ると霊験あらたかであるという信仰が始まったという。

 境内には芭蕉の句碑がある。
これは俳人でもあった三代住職仁口上人(にんかくしょうにん)を訪ねた芭蕉が、当時伏見の名物であった桃にこと寄せて任口上人の高徳が自分にも及びますようにという意味が込められた挨拶の句です。

我衣に ふしみの桃の しずくせよ
                          (野ざらし紀行)
京都は明治の遷都以後、京都市民の中から街が衰微することが心配された。
第3代京都府知事となった北垣国道は、京都に活力を呼びもどすため、「琵琶湖疏水」の建設計画を推進し、その疏水を利用して発電や物資の運搬を計画した。

 平安遷都1100周年を記念して1895年(明治28年)に京都で第4回の内国勧業博覧会が催されることに併せて、その電力を利用した日本初の路面電車が走ることになった。

塩小路−油掛間   6・76km
幅員           0.76mの狭軌
時速           10km





大蔵記念館


ここは前にも入りましたので、説明は省略します。



近衛天皇陵




鳥羽天皇陵


─(71)後三条天皇 ───┬─(72)白河天皇───┬(73)堀河天皇──┬(74)鳥羽天皇──┬(75)崇徳天皇─重仁親王
                 │               ├覚行法親王     └最雲法親王    ├(77)後白河天皇
                 ├実仁親王         ├覚法法親王                 └(76)近衛天皇
                 │               └?子内親王(郁芳門院)
                 └輔仁親王─(源)有仁
近衛天皇
生没:保延5年(1139) 〜 久寿2年(1155)
在位:永治元年(1141) 〜 久寿2年(1155)
父 :鳥羽上皇 第8皇子
母 :藤原得子
皇后:藤原多子、藤原呈子
 生母の美福門院が鳥羽天皇の寵愛を受けていたため、わずか2歳で崇徳天皇と代わって即位した。
治世中は鳥羽法皇が院政を敷いた。若死したため子は無く、皇位を巡って鳥羽と崇徳上皇が対立したことから保元の乱が起こる。
鳥羽天皇
生没:康和5年(1103) 〜 保元元年(1156)
在位:嘉承2年(1107) 〜 保安4年(1123)
父 :堀河天皇 第1皇子
母 :藤原苡子
皇后:藤原璋子、藤原泰子、藤原得子
 待賢門院璋子を中宮とし、崇徳・後白河をもうける(崇徳の実父は白河院?)。
四歳で即位し、在位中は白河上皇が政治を総括したが、白河上皇没後に崇徳天皇に譲位し、崇徳・近衛・後白河の三天皇の28年に渡って院政を敷いた。美福門院が体仁親王を生むと即座に立太子させ、崇徳天皇を譲位させ近衛天皇とした。近衛が早世すると、崇徳上皇は皇子の重仁親王を立てようとしたが、鳥羽上皇は第四子の雅仁親王(後白河天皇)を即位させた。
この時の崇徳の恨みは測り知れないのではなかったろうか。



安楽寿院
新義真言宗の智山派の寺で鳥羽離宮を、1137年、覚行法親王を導師に寺に改めたことに始まる。
 桓武天皇が平安京を築いた時には、この南の鳥羽は低湿地で池が広がっていた。
水鳥が群れ、この池の畔に白河上皇が造営した離宮が造られた。造営当時の敷地は広く、西端は城南宮の西、賀茂川まで、東は近鉄線までの幅約1.5km、北は名神高速道路辺りから南へは京セラ本社辺りの約1.0kmとされている。
貴族から雑人に至るまで宅地が与えられ、栄華を誇った貴族たちは連日のようにこの地を訪れ、舟遊びや歌合わせなどに興じ、三代に渡って院政が執り行われたことからも栄えていたことが窺える。

 鳥羽上皇は1137年、この鳥羽離宮の東殿を阿弥陀三尊を本尊とする寺に改め、国家安泰と共に自らの後世安楽を願うため安楽寿院としたのでした。
その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔が次々落慶し一応の完成を見せました。当時の寺領は膨大なもので今の茨城県から九州の間に散在し、最盛期には32国63ヶ荘に及んでいた。
1596(慶長元)年、伏見城も崩壊するほどの大地震が起き、新御塔も倒壊した。そのとき集められるだけの材料で、とりあえず仏像を祀りできるように建てたお堂が右の写真の大師堂である。新御塔は1607年に豊臣秀頼によって復興された。
その後現在地へ移築され、その時から大師堂た弘法大師像を本尊として祀られるようになったというこです。



北向不動


正式名:北向山不動院
 本尊は不動明王で天台宗単立寺院。
1130(大治5)年に鳥羽天皇の勅願により鳥羽離宮内に創建された。興教大師を開山として本堂に大師が自ら刻んだ不動明王を王城鎮護のため都の方面(北向き)に安置したことから北向山不動院<の名を賜った。
1155(久寿2)年に播磨国大国の庄を 寺領として、藤原忠実が中興にあたり、のち応仁の兵火などしばしば災害にあったが、朝廷の保護厚く近世に復興した。
現在の本堂は1712年に東山天皇の旧殿を移築したもので、本尊として不動明王を安置する。
 境内鐘楼にかかる梵鐘は二品済深親王の銘があって、1694年、名士名越浄味によって鋳造されたと伝える。



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