菟道稚郎子の陵墓
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)。四世紀初頭の応神天皇の皇子とされています。
日本書紀によると、応神天皇は数多の皇子の中でも秀俊の誉れ稚郎子を皇太子と定めて亡くなった。しかし、稚郎子は自分よりも年長の大鷦鷯(おおささぎ、仁徳天皇)こそが皇位を継ぐべきだと云い、大鷦鷯も父の言葉に背くことはできないと云い、お互いに譲り合うが、譲り合うこと三年、ついには兄をたてて自らの命を断ったという逸話が美談として語り継がれています。

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