隼上り(はやあがり)
昭和57年宅地開発に伴う発掘調査で明らかになった日本最古に属する瓦生産遺跡である。
遺跡は瓦窯跡郡と工房跡に分かれている。瓦窯跡は丘陵斜面に構築された全長10mほどの登り窯で4基が確認された。工房跡は瓦窯跡西側30mの地点に築かれており、7棟の建物跡や粘土貯蔵穴など瓦生産関連以降が発見された。
 出土品には多量の瓦類と須恵器類がある。瓦の文様は、典型的な高句麗様式を主体としており、ここで生産された瓦は驚くべきことに
7世紀前半頃に蘇我氏が飛鳥に建立した豊浦寺で用いられている
瓦窯跡は発掘調査後埋め戻され現在は写真のように公園になっている。

豊浦寺については552年(欽明13)に百済の聖明王から送られた金銅の釈迦像を蘇我稲目が自宅に祀っていた。
592年 推古天皇が豊浦宮で即位。11年後の603年、天皇は小墾田宮に居をうつし、豊浦宮は蘇我馬子が譲り受け、尼寺としている。
平成5年の寺跡の調査で、建物の伽藍配置が飛鳥寺と同じであることが判明している。
また寺の講堂だったと考えられる場所の下からは、6世紀末から7世紀初のものとみられる遺構が発見されており、宮跡を寺にしたという『日本書紀』の記述が実証された。
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