仏教関係者M氏の場合


平成12年7月17日(月) 快晴  

AM 9時30分 出発

持ち物  Tシャツ・短パン・靴下・滋賀県の地図

それほど気負わず、行けるところ迄行って、ダウンしたら自転車を捨ててJRで家まで帰れば良いと、割りと軽い気持ちでスタートしました。
以前から、一度琵琶湖一周にチャレンジしようと言う思いはあったが、なかなか思いきれなかったのと、自分に自信が無いので実行できませんでした。
割りと、何にでも手を出すタイプの人間ですが、以前の富士登山よりも、かなりハード
な挑戦なので、正直言って成功率は70%〜80%と思っていました。
帽子をかぶり、家の前で2〜3回屈伸運動をしただけで出発しました。
以前から何度も通った近江大橋を渡り湖周道路を、北に向かって走り始めました。
対岸には、プリンスホテルが見えて、壮快な気分でした。
本来なら、もうすぐ琵琶湖博物館が見えるはずなのに、なかなか見えてきません。
自転車で20q以上走るのは2年ぶりくらいなので、足の疲労の割りにスピードが出て
いないのです。やっと博物館が見えてきた時、コンビニがありました。そうだ!こう言う
時には、水分を多く取らないと脱水症状を起こしてしまう。と以前自転車をしていた時の事を思い出し、ボトルのポカリスエットを買いました。喉が乾いていたので、店を出てゴクゴク飲んだら、半分以上飲んでしまいました。
まだ出発してから1時間少しで、「こんな状態で、ほんまにいけるのやろか?」今までの気楽な思いが、どこかに行ってしまいました。「帰ろかな」そんな気持ちが早くも、心の中の60%以上を占めていました。
ま、とりあえず守山まで行って、琵琶湖大橋渡って帰ってもええかと思い、走り始めました。守山まではスムーズに走れ、「せめて野洲の鮎家まで行ったろか」と少し気持ちが前向きになってきました。鮎家迄行って土産を買って帰っても「ま、ええやろ」そんな気持ちで北に向かって走りました。
鮎家の前に到着した時、広い駐車場には車が一台も無く、自転車で入っていったら変なオジさんに間違われるかもしれん。と思い、もうちょっと先へ行ってみることにしました。
行けども行けども、左は琵琶湖、右は田んぼ 一本道が延々と続いています。
道路標識は、「野洲」次の標識も「野洲」なんぼ行っても野洲ばっかり。野洲は、広い
体で感じました。
Uターンするきっかけがみつからないまま、進んで行くと、標識が「近江八幡」に変わりました。思わず大きな声で「よっしゃ」と叫んでしまいました。
ちなみに、ここまで湖周道路を走っていて、草刈などの作業員は別にしてすれ違った
人は、自転車のおっさんひとりだけです。
私は、よっぽど変なことをしてるんでしょうね。
竜王の家(嫁の実家)で一泊して帰る事も考えましたが、体が自転車をこぐ事になれてきたため、無意識の内に進んで行きました。今考えても近江八幡付近の精神状態は、思い出せません。そうこうしている内に「長命寺」の看板が、出てきました。以前車で来たことがあったので見なれた風景でしたが、自分が自転車に乗ってこんな遠いところまで来た事が信じられず、変に感動してしまいました。お腹が空いてきたので、うどん屋にでも入ろうとしばらく行くと、国民休暇村の看板が見えてきたので、「ヨシ!国民休暇村で美味いものを食べよう」と思い自転車のスピードを上げました。しかし、これが本当の苦労の始まりでした。近江牛の焼肉定食を想像していましたが、行けども
行けども、上り坂の林の中。看板は、→のマークが出ているのですが道は、延々と続きます。引き返すにも、こんな山の中ではどうしようもなく、途中で自転車を降りて、押したりしながら進みました。突然視界が開け、白い大きな建物が見えてきました。これが国民休暇村です。その時私の頭の中は、焼肉定食一色でした。
玄関の近くに自転車を止め、降りようとした時、右の膝が全く曲がらないことに気がつきました。あれ、と思いましたが、その時は焼肉定食の方が右膝より重要だったので、
そのままびっこを引きながら、食堂をめざしました。
レストランの入り口でドアの所に立て看板があり、食事は、「17時より」と下手な字で書いてあり、本当にクラクラとなりました。目の前が真っ暗になるとは、この事です。
しかたなく、館内を歩いていると、「喫茶・軽食→」の立て看板があったので、焼肉は無理でも、やきそばぐらいは食べられるやろう。と自分に言い聞かせてその上飲み物はコーラにしよう!などと、元気良くそのコーナーに行くと、なななんと、コーラの自販機一台だけ!!ウソ〜今度こそほんまにめまいがしました。しかたなく、コーラを買って
一気に飲むと、炭酸がきつくむせてしまい、鼻からコーラが出てくるわ、汗は出てくるは、むちゃむちゃなさけない気分になり、おまけに椅子に座っていても、右膝だけ真直ぐになったままです。「どないしょう」この時始めて、不安になってきました。
コーラの缶で右膝を冷やし、ようやく膝が少し曲がってきたので死力をふりしぼって、
また、自転車に乗り始めました。もうこうなったら、進むしかありません。周りは、林ばかりです。
幸いにも、今度は下り坂が続いていたので左足だけペダルに乗せて、進みました。
この時、頭の中は何でもええから何か食いたい!!ただそれだけでした。
これだけ真剣にメシが食いたい!!と思った事は、生まれて始めてでは、ないでしょうか。
めし・めし・めしつぶやきながら進みました。その時は、もう家に帰る、はたまた一周する。そんな考えは全くありませんでした。ただただ進むのみです。行けども行けども左は琵琶湖、右は田んぼばかりです。時刻は、1時を少し廻った頃前方の道がグニャグニャ曲がり始めました。
錯覚か、陽炎か、はたまた私の体温の上昇によるものか、何か知らんけど、急に笑えてきました。(少し危険)
その時です。喫茶・軽食500bの看板が立っていました。右足をかばいながら、左足に力を入れて自転車をこぎました。目的の喫茶店は確かに営業中でしたが、農作業小屋みたいな所で、いくらなんでもここまで頑張ってきて、「こんなとこあかんわ」やっぱり私はあほでした。それから約1時間炎天下の中で片足で自転車をこぎ続ける事になったのです。
午後2時過ぎ、ようやくまともな喫茶店があり、これを見逃したら二度とご飯が食べられないような気がしたので、迷わずこの店にしました。店に入るのには、5段くらいの階段を上るのですが、この時右足は動かなかったので、階段の下でどうすれば上がれるのか、しばらく考えていました。そうだ!左足から上がれば良い!!作り話のようですが、本当の話です。多分ものすごい暑さで思考能力が、限りなく0に近づいていたんだと思います。
店の中はクーラーがとても効いていて、出された水を一気のみしたら、脳細胞が急に動き出し、自分が今置かれている立場が、だんだん理解出来る様になってきました。
きのこピラフを食べ終わり、アイスコーヒーを飲む頃には「これからどないしょ」完全に
素に戻っていました。
出発してから約5時間。今から来た道を戻っても途中で夜になってしまう。もういっぺんあの山道は、絶対に走るのいやや。おのずと答えは出ていました。
こうなったら、強いものです。もう迷いはありません。北に向かって、彦根に向かって
走りました。彦根プリンスホテルが見えた頃には、すっかり"サイクリスト"気分になり、ついでに彦根城でも見にいったろ!以前から、私は単細胞人間だと思っていましたが、まさかこれほどとは…。膝は痛いし、だんだん夕方になってくるし、おまけに雲が出てきて暗くなってくるし、条件は最悪になって来るのに、気分は何故かハイでした。今から思うと、多分究極のやけくそ状態だったんだとおもいます。
今夜の泊まるところは、米原にしよう!!今回の旅で始めて目標を持ちました。
米原なら、新幹線が止まるので立派なビジネスホテルがあるに違いない。理由はこれだけです。夕方4時半頃米原の駅に着いたのですが、またまた最悪の事態となりました。駅前にホテルが無い!!あるのは、昼間のくさった喫茶店みたいな木賃宿ふうの
くさった旅館が2件だけ。あとは、平和堂と饅頭屋だけ。
立派なビジネスホテルのシングルの部屋を想像していた私の想いは、完全に砕かれ
小さな駅舎の前で呆然としばらく立っていました。膝が痛いので、しゃがむことができないのです。2〜3回パトカーが目の前を通りすぎました。多分あの時、不審者と見られていたのだと思います。
結局、それから1時間ほど走って、長浜に着いたのは、6時頃でした。この時、体力・気力は限界に達していました。駅前にグリーンホテルがあったので、迷わずそこに決めました。しかしここでも問題です。Tシャツと短パン姿のおっさんをホテルは、ちゃんと泊めてくれるやろか?もし、「全館満室でございます」と言われたらどないしょう。
勇気を出して、ホテルに入りフロントをめざしました。ドキドキしながら「今日、シングル空いていますか」この時声は、うわずっていたと思います。
「しばらくお待ち下さい」お姉さんがコンピュータをカタカタたたいて、「7,500円です」
と言った時、思わず「おおきに」と言ってしまいました。これで、"死ななくてすむ!"
この時の正直な感想です。
当然に前金です。お金を払えばこっちのもんや、自転車に乗ってるんやけど、止めるところはどこ?フロントのお姉さんは、しばらく沈黙の後、状況を理解できたらしく、当ホテルの裏に駐輪場がございます。と涼しい顔で言った。
自転車を止めて部屋に入ったら、膝がガクガクとなって、倒れそうになりました。緊張の糸が切れるとはこの事だと思います。部屋の壁伝いにベッドまで行って、倒れ込みました。この時の気持ちは、達成感や充実感ではなく、「これで寝られる!」と言う安心感以外の何物でもなかったのです。
シャワーを浴びて、クールダウンして行くと、思考能力も少しずつ回復してきたので、
現状分析を始めました。

場所……JRの長浜駅が目の前なので、すぐにでも家に帰ることが出来る。
体………腰から上は、全く異常無し。腰から下は、両膝が痛い。特に右がひどい。
達成率…琵琶湖一周を100とすると、現時点では、約45%
天候……テレビのニュースでは、明日も晴れ
自転車…異常無し

以上の事から総合的に判断した結果、一晩寝て足の回復具合を見て、このまま続けるか、ここで中止するか決断は、明日の朝することにしました。
変なプレッシャーから開放され、早速夕食の事を考え始めました。昼食では、さんざんな目にあったので、夜は、パーッと美味しいものと冷えたビール!!これ以外には考えられませんでした。地ビールの浪漫ビールを以前飲んだ事があるので、そこへ行く
ことにしました。一応着替えて、足はコンパスのように真直ぐのまま、ロボット歩きで、
向かいました。
駅前通りを歩いていると、「北國屋」の看板が掛かった古い居酒屋がありました。
「ここ、よさそうやん」吸いこまれるように、のれんをくぐってしまいました。
地ビールは、いったいどうなったんでしょう?
「ホッ」と一息ついたときには、二杯目のジョッキーを持っていました。
行きあたりばったりの見本のような行動です。
カウンターだけの店で、客は、4〜5人程度でした。私の隣に座っていた客が、話しかけてきました。
「兄さん、地の人か?」
「ちがう、大津から来たんや」
「よう食うし、よう飲むな〜」
「そらそや、ここまで自転車で来たんや」
「ほんまかいな」
ざわついていた、店の中が一気に静かになりました。
皆の目は、疑いの眼でした。しかし、今まで来た道のりの話、米原の話し、やっと長浜にたどり着いた事などを話していると、皆が真剣に話しを聞いてくれました。
「なんで、こんな暑い中そんなしんどいことするの?」
他の客が聞きました。
「かっこええように言うたら、自分への挑戦です」
自分でも信じられない言葉が飛び出しました。(今思い出してもはずかしい)
でも、長浜の人たちは、私の言葉に「かっこええな〜」と感動していました。
それから店の中が一つになって、おおいに盛り上がったのは、言うまでもありません。
店の主人が、感動のあまり、「うちで一番うまいもんや、食べて行って」とラーメンをご馳走してくれました。
北國屋を出る時には、皆にガンバレ!必ず一周せいよ!と応援・激励を受け、店を出ました。
(長浜の人は、良い人ばかり)
ホテルへ帰る途中、ふと気がつきました。ロボット歩きが少しましになっていました。
本来なら、ホテルに帰って足のマッサージでもしなければならないのに、風呂に入って目を開いたらもう朝でした。
部屋で屈伸運動をすると右膝に痛みはあるものの、左は、ほぼ痛みを感じませんでした。朝ご飯を食べ、出発をしたのは8時15分です。乗り出して5分もたたないうちに
お尻が異常に痛くなってきました。昨日までは、何とも無かったのに強烈です。右膝も痛み始め、状況は昨日よりも悪くなっていました。えらいこっちゃ、今日は、100q以上走らんとあかんし、おまけに湖北の山岳地帯があるのです。
道は始めて国道8号線を走ったので交通量が多く、へらへらとした走り方が出来ません。真剣に北に向かって走りつづけました。びわ町・虎姫町・高月町と快調に走り続け木之本町まできました。この頃になると、自転車を止めても足が痛くてなかなか自転車から降りられなくなっていました。
木之本町の街中で地図を見ていると、ちょうど半分まで来た事がわかり、「あと半分やがんばるぞ!」交差点の角で叫んでいました。青春ドラマのようですが、このころになると、人目は全く気にならなくなり、自分だけの世界に入り込んでいました。
これから、マキノ町に向かいますが、いよいよ、最大の難関である山岳コースに入ります。
走り出してしばらくは、坂もあまりきつくなく快調に進みました。もう少し進むと、賤ケ岳のトンネルにさしかかりました。始めてのトンネルです。幸いにもトンネルの中には歩道があり、わりと安全に進めました。しかし、しかし、車で通るトンネルと自転車で通るトンネルとは、大きく違っていたのです。
その1 排気ガスがすごい。ものすごい
その2 音がすごい。軽自動車でもダンプカー並の音がする。
その3 こわい。ものすごく暗いので、なぜか不気味。
その4 トンネルを出た時の開放感。これはすごい。実際にやらんとわからん。
坂もだんだんきつくなってきた時、ママチャリに乗った"おじい"が、私の横をスイ〜と抜いて行ったのです。いくらくたびれていても、こっちは、18段変速の自転車やのに。
そのおじい、抜かしてから後ろを振り向いたんです。「何者やろ?」この山岳地帯に住む仙人の化身やろか?真剣に考えました。
私は引き寄せられるように、そのおじいについていきました。上り坂なのに時速14qくらい出ていました。私が後方に近づくと、なんとそのおじいはスピードを上げ出しました。二人のデッドヒートがしばらく続きましたが、最後にはやっぱりわたしが勝ちました。まいったか!!!。
「もうええやろ」おじいを引き離した頃、はた、と気がつきました。ここはどこやろ……。
地図を見てびっくり!!道をまちがえていました。おじいとの競争に必死になり、左折しなければいけないのに真っ直ぐ走っていたのです。体力と時間をかなりロスしました。おそるべし"おじい"
ちなみに、道を引き返した時"おじい"の姿はありませんでした。
奥琵琶湖パークウエイの近くを通り、自転車を押したりしてようやく琵琶湖のほとりの海津大崎にたどりつきました。たどりつくと言う表現がピッタリの山岳地帯でした。
この辺の景色はすばらしく、琵琶湖とは思えないほどきれいでした。
そうこうしている内に、12時になったので昼食をとることにしました。近江今津の駅前のレストランで体力を付ける為ミックスフライを食べました。もうここまできたら、走るだけです。気分的にも余裕が出てきました。
午後2時大事件が起こりました。場所はJR近江舞子駅。腹痛です。昼に食べたランチにあたったのか?それとも、ポカリスエットの飲みすぎか?
駅のベンチで横になってトイレとベンチの往復を繰り返しました(5〜6回)。
脂汗が出てくるし、ベンチで寝ていたら蚊がいっぱい飛んでくるし、(こんな、弱っている人を刺さんでもええやろ)立ちあがったらしんどいし、痒いやら痛いやら、生き地獄のようでした。
約1時間ダウンしていました。「もはや、これまで」「もうあかん」何度も思いました。
やがて、腹痛もおさまり、一路南を目指すことが出来ました。今でもよく復活できたとおもいます。不思議とピタリと治りました。
炎天下の中、ただひたすら、ペダルをこぎました。体温がかなり上がっている感じはありましたが、早く終わらせたい一心で進みました。
比良のあたりで、一瞬「クラクラ」としたので、危ないと思い体温を下げるため、コンビニでカップの氷を買いました。(この時は、体力の限界と言うよりも肉体の限界だったと思います。)約1分で食べてしまいました。普段氷を一度に食べるとこめかみの所が痛くなるのですが、この時は全く痛くなりませんでした。氷の早食いの新記録だと思います。
氷で一息つきましたが、足にはあいかわらず痛みがあり、お尻のほうは、痛いのを通
り超して、痔になりそうでした。早く帰りたいその気持ちだけですすんでいました。
堅田をこえて雄琴に差し掛かった時、変な音が前のタイヤからしてきました。止まって良く見ると「釘」が一本刺さっていました。えらいことです。しかたなく釘を抜くと、シューと空気が漏れ始めました。こうなったら、空気が、抜けるまでに自転車屋をみつけなければなりません。この時は、もう必死でした。ここまで来て、沈没したら今までの苦労が水の泡や。とにかく自転車をこぎ続けました。
幸いにも、タイヤはペタンコになってきましたがどうにか持ちそうです。
パンク騒動のおかげで、一心不乱に自転車をこいだので一気に家の近くまで帰ってこられました。あと10b先の交差点を曲がると家が見える!この時自転車の速度は、人が歩く速度よりも遅かったです。
あと20bでゴール。その時自転車は全く進まなくなり、押して家にたどりつきました。
体力の限界です。精神力の限界です。達成感とか、感動とかはあまり感じませんでした。ただ、「よっしゃ」この言葉だけが何度も何度も自然と出てきました。
普段と全く違う時の流れ方の中で、遠い昔に忘れていた野生的なものが、少し取り戻せたような旅でした。
自分への挑戦と言うほどたいそうなものではないですが、言葉ではなく行動で自分の可能性を確認出来たことが、大変うれしく思えました。
やり遂げたと言う達成感よりも、「やったら出来るやん」と変な自信がつきました。
昔の偉い人が言いました。"地の利・人の和・天の時" 
今回の琵琶湖一周が成功したのは、この3ッが全て良かったからだと思います。
家にたどり着いたときは、あまり感動しませんでしたが、これを書き終えて始めて胸に
ジーンと熱いものがこみ上げてきました。
自分自身に「ようやった」
そして「よっしゃ、まだいける!!」

                                              おわり

                   平成12年7月17日〜18日   到着 午後5時



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