闘鶏山古墳(つげやま)                             ニュース目次    トップ

本日の段階ではまだ詳しい内容は分かっていませが、確認されている事実だけを列挙してみると以下のような内容でです。
1.全長86・4m、後円部の直径約60mの前方後円墳であること。
2.竪穴式石室が2基、見つかっていること。
  1基は後円中央部で石室天井部までの深さが2m(以下第1主体という)、
  もう1基はその西側で同1mである(以下第2主体という)。
3.両石室とも未盗掘であること。
4.第1主体の石室内には朱色の粉が付着した頭蓋骨が見つかっていること。
5.第1主体の石室からは三角縁神獣鏡二面と方格規矩四神鏡(ほうかくきくしじんきょう)一面が発見されていること。
  他の副葬品として鍬型石(鍬の形をして腕が通る穴が開いた腕飾り)と鉄刀などである。
6.第1主体、第2主体とも天井石や側壁に緑泥片岩が使われていること。
7.第1主体、第2主体とも石室からは割竹形木棺が発見されていること。
8.古墳斜面は拳(こぶし)大から30Cm大の葺石(ふきいし)が敷かれていること。
9.淀川北岸の三島古墳群の中にあること。
10.埴輪は埋められていないこと。
11.数少ないけれど土師器の壷が出土していること。














   前方部から後円部を見たところ        後円部の葺石










上の写真は後円部分の発掘の様子。手前が第1主体、写真上が第2主体。












 第1主体を真上から撮影したところ。緑泥片岩の天井石が見える。この天井石を厚さ10〜15Cmの粘土で被覆してあった。今回のファイバースコープは中央横長の石の右下から入れて撮影をしたものである。
石室はこの右斜め上60°の角度で伸びている。この中に埋葬者、三角縁神獣鏡や方格規矩四神鏡が眠っている。





ファイバースコープで覗いた第1主体の石室内の映像。
頭蓋骨の上に体があり北枕でお休みになっています。
さて、誰なのでしょうね。







こちらは第2主体の石室の内部
ファイバースコープの映像。

側壁がよく見えます。
この側壁は垂直に立っていますが、第1主体の側壁は上に行くほど幅が狭まっています。













第2主体を上から写した写真。
幅1m以上もある天井石が上部に見えています。

これは、上の説明で書いたように側壁が垂直に立っているため天井を塞ぐには大きな石が必要になるためです。









これらの事実から推測できることは何か。
1.築造時期が遅くみても4世紀前半ではないか。実際にはこれよりも早い時期かも知れない。
  これは、幅の狭い急峻な尾根上に古墳を築くという前期古墳時代の特徴と一致しており、
  三角縁神獣鏡が中国の魏の国王が卑弥呼の遣使に下賜したものと解釈すれば、そして邪馬台国が
  畿内に存在していたとすれば、この被葬者が貰いうけ副葬されるのまでに
  そんなに時間は掛からなかったであろう。
  また、埴輪が存在していない。
  宮内庁管轄の継体天皇陵である太田茶臼山古墳は5世紀、学術的継体天皇陵である今城塚古墳は
  6世紀前半の古墳であり、この古墳には新池埴輪製作遺跡の埴輪が埋められているが、新池埴輪製作は
  5世紀中頃から製作を始めている。
  いま、ここで述べた古墳や遺跡は2Kmと距離が離れていないのであり、埴輪がないということは5世紀以前と
  考えてよいだろう。

2.古墳時代前期の王墓とみられる。
  6000年ぐらい前までは、大阪湾はかなり内陸地まで入り込んでおり、古墳時代でも現在よりは遙かに
  奥地まで海であった。
  大和朝廷と大陸との海路の玄関口は南部の堺辺りと北部の浪速であった。
  したがって、大和への道は現在の大和川沿いと、淀川沿いになっていたのである。
  このように交通の要諦である淀川北岸地域には親大和政権の部族が住んでいたのであり、この部族は
  大阪府三島郡、高槻市辺りに勢力を持っていた。
  三島古墳群と呼ばれる数多くの古墳はこのことを物語っているのである。
  三島古墳群における首長墓は3世紀中頃の安満宮山古墳(あまみややまこふん)、3世紀後半の岡本山古墳、
  3世紀末の弁天山古墳、4世紀中頃の弁天山C1号古墳、4世紀末の郡家車塚古墳、そして前出の
  太田茶臼山古墳へと首長の墓が見られます。
  4世紀前半が抜けているのではないかと思うのは、如何なものでしょうか。
  副葬品の鏡を考えれば首長の墓と見てよいでしょう。
  ついでながら安満宮山古墳は邪馬台国論争の1つになっている景初3年の銘が入っている三角縁神獣鏡や
  青龍3年の銘が入っている方格規矩四神鏡が出土しています。
  今回、闘鶏山古墳で確認された鏡にもこの年号が刻まれていると思うのは早計でしょうか。



何が珍しいのか。
1.未盗掘であること。
  これが本当に珍しいことなのです。未盗掘の古墳で知っているのは奈良県天理市の黒塚古墳、同斑鳩町の
  藤ノ木古墳ぐらいであとは知りません。
  古墳あるところ盗掘ありなんです。
  盗掘がいつ行われていたかは分かりませんが、埋葬者の縁者がいなくなって忘れ去られた頃から始まる
  のではないでしょうか。
  古墳に金目のものがあると知れ渡って、その品々を買う人が存在したからでしょう。
  鎌倉時代の書き物に「阿不幾山陵記」(あおきのさんりょうき)というのがあります。
  これなんかは、天武持統天皇陵の盗掘の記録なのです。
  こんな昔から盗掘をおこなっているのですから未盗掘の墓が殆ど無いのも頷けますね。





最後に石室の石材と出土の壷の写真を掲載いたします。緑泥片岩とは徳島県吉野川流域と和歌山の一部でしか
採取されないそうです。




                    ニュース目次              トップ


                    ヒエ塚古墳              井出町瓦窯跡








SEO [PR] お金 ギフト  冷え対策 特産品 動画無料レンタルサーバー SEO