水晶塚古墳

場所  大和郡山市八条町

 奈良県立橿原考古学研究所は、京奈和自動車道の建設に伴う発掘調査を行い、本日(14年3月10日)水晶塚古墳の現地説明会を行いました。
水晶塚古墳は八条遺跡の中で水田に残る「水晶塚」の字名から名付けられています。

古墳の規模
 水田の下に埋もれていた古墳を囲む内濠(幅13m、深さ1.4m)と外濠(幅5〜6.6m、深さ1.1m)の二重周濠の東側部分が確認されたこと、内濠と外濠の間だが7.0m、さらに外濠の外側に後世の土杭が取巻いていること地中レーダ探査の結果から、形状は帆立貝式古墳で円丘部は37m、墳丘の全長50m、外濠の外側までの総延長は主軸側95mぐらいと推測されます。















                 
当日の現地説明会の様子

























      
古墳全景  写真は奈良県立橿原考古学研究所から
出土品

 周濠の各所から円筒埴輪が多数出土したほか、形象埴輪として内濠の墳丘側で蓋(きぬがさ)形埴輪の完形品が2点の他、馬形埴輪の破片も出土しています。
木製品としては大きな翼を広げた鳥形木製品、笠形などの木製品数十点も出土しています。
これらは墳丘及び、二重周濠の間の中堤、外濠の外側にある外堤に立ち並んでいたのが後世になって濠に転落したらしい。
また墳丘が破壊された際に排出された土の中から、副葬品とみられる鉄製の小札(こざね)、鉄鏃等約25点も見つかっています。



  平安時代後半(10世紀後半)の草花(そうか)八稜鏡(はちりょうきょう)と和同開珎の銅銭
  これらは古墳が大きく壊されたときの年代に関わっているもの推測されています。



       蓋(きぬがさ)形埴輪              馬形埴輪




                         蓋(きぬがさ)形埴輪の出土状態



         鳥形木製品              笠形などの木製品






中町西遺跡

 当日の水晶塚古墳の現地説明会に続いて中町西遺跡の説明会が行われました。
ここは水晶塚古墳から歩いて5分程度のところで、こちらは天理市になります。
調査地は古代以降の交通路であった下つ道が通っていたところで、交通の要所で、これらの遺構の発見が期待されたところです。
古代の道路といえば、奈良盆地を縦断する上つ道、中つ道、下つ道、当麻から桜井へ通じる横大路、三輪山麓から飛鳥への磐余(いわれ)の道、斑鳩の里から難波へのびる竜田(たつた)道、わが国初の官道といわれる竹内街道等があり、下つ道はこの内の一つです。

 今回の調査では、縄文時代から近代までの遺構や遺物が発見されています。その中でも特に、古墳時代中期と平安時代末の2つの時期についてはまとまった成果がでました。
古墳時代中期の成果としては韓式系土器が数多く出土していること、竪穴建物や井戸、土坑、流路などの遺構を検出していることでしょう。
平安時代末の濠で囲まれた館については周辺の地割の検討から約50m四方に復元されています。館の主体者を特定することはできませんが、周辺を開発した有力者の館であった者と考えられます。




       竪穴建物の遺構               井戸の遺構



     写真上部が流路跡              韓式系土器
    写真下部が遺物出土状況



                 なかなか見応えのある器じゃないですか



      この文様には何か感じるものがありませんか。 左右同じ器です。









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