森カシ谷遺跡高取町教育委員会の現地説明会資料を参考にしました。  戻る  トップ

位置 奈良県高取町(近鉄壷阪山下車徒歩10分)
15年2月16日、あいにく当日は雨、今回の写真は高取町の教育委員会作成の資料写真を多く使わせていただきます。
場所は天武・持統天皇陵から南西方向に約2kmのところ、古代の官道である紀路が見下ろせる丘陵上にあります。

ここでは飛鳥時代の砦、終末期古墳、中世遺構、木棺墓などが検出され、土器など多くの遺物が出土しました。











右の写真からも分かるように尾根の先端部が今回発掘された部分で右上の方向に向かってこれからも調査が進みます。
ここでは6世紀に築造された古墳の墳丘を再利用して土郭(土段 頂上部)を作って真ん中には東西4m南北3m深さ2.2m以上の長方形の土壙(土穴)がありました。
下の写真のように内部には数ヶ所の柱穴があります。



上の写真の中央部に平らになっているところが見えます。
この部分は掘立柱建物跡を検出しています。
建物は尾根の斜面をカットして平坦地を作り東西4.8m
南北12.7mの2×5間(柱は3本×6本)の規模です。
柱の直径はおよそ20cmというからしっかりしたものなのですね。













この建物の入り口はどこにあったのでしょう。
外側は砦の性格から急な坂になっています。
しかも外側三方は外敵を防ぐためか柵列と考えられる柱穴列が残っています。



内側も急な坂が迫っています。
しかし、下の写真をご覧下さい。

堀立柱建物を坂の上から見たものなのですが、坂の上から建物に向かって柱が立っていたことがうかがえます。
つまり内側(坂の上側)から橋のようなものがあったのだろうと説明がありました。
この建物の下の斜面にも3段に亘って柱穴列を確認しています。これらの遺構からは須恵器、土師器の破片が僅かに出土しています。
その他古墳時代後期の木棺墓、飛鳥時代に築造された終末期古墳、平安時代の土壙墓、中世の柱穴群や土壙がありました。
終末期古墳は中世以降に削平され埋葬施設が残存しませんでしたが、墳丘背面を大規模に造成したり、墳丘一分に残る版築工法と排水溝などからこの古墳の重要性が伺われます。


毎日新聞
には『この2号古墳は古墳構造・規模はキトラ古墳(明日香村)に似ていたらしい。天武天皇(在位673〜686年)の近親者と推定される人物の墓(終末期古墳)が集中する地域にあたり、被葬者は天武天皇の皇子・皇女クラスとみられる』
『中世以降に上部を削られた墳丘の基底部を確認した。石室は残っていない。丘陵南側の中腹を削って造成した約25メートル四方の平坦地に築かれていた。墳丘の下を十字形にくぐる2本の排水溝も確認。地面を深さ30センチ以上に掘り、こぶし大の石を詰めていた。出土土器などから築造時期を判断した。古墳は古代の幹線道「紀路(きじ)」を見下ろす位置にある。
 周辺は、天武・持統天皇陵、高松塚、キトラ、中尾山、束明神、マルコ山など終末期古墳10基以上が集中する。藤原京(694〜710年)の中心軸の延長上にある天武・持統陵を基点とした南北3キロ、東西2キロの範囲。高位の人物だけが古墳に葬られた時代で、これを天武天皇の「陵園」と考える説が有力だ』
という記事が載っており興味は尽きないのです。



そうすると天武天皇と持統天皇の間に生まれた草壁皇子のはではなかと言われていた束明神古墳が気になってくるではないでしょうか。
束明神古墳では規模が小さいのではないかと思っていたのですが、キトラ古墳と同規模、同構造であるならば確かに規模は小さいながら副葬品などは立派なものだったんだろうなと考えられますね。
続日本紀には、称徳天皇が飛鳥古京から和歌山へ向かう途中で草壁皇子の陵を通るとき供の者に馬を降りて旗を巻くよう命じたという記述があるそうです。
森カシ谷古墳は前述したとおり官道である紀路が見下ろせる丘陵上にあります。束明神古墳はここから500mぐらい奥まって紀路が見下ろせないのです。
さて、どうなんでしょうね。




もう一つ誤解があってはいけないので上の2号墳(終末期古墳)の写真の解説です。
排水溝は分かりますね。小石が敷き詰められているところです。手前で下方に曲がっていますね。ここが古墳の端と考えていいでしょう。
堀残した部分(小石の横)が発掘前の地表を現していますが、これが盛られた土でこの形で古墳が作られたのではありません。
小石の奥の壁を見て下さい。色の違うところがあるでしょ。そこまで先ず土が盛られました。ここまでを基壇と考えて下さい。
その上に石棺(多分?)が置かれたのです。つまり、棺があったのは写真の地表よりはずっと高いところです。
ですから、上述の通り「終末期古墳は中世以降に削平され埋葬施設が残存しませんでした」ということになるのです。
以下 参考写真です。

           須恵器

           鉄器














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