第6次今城塚古墳調査 ニュース目次
今回の第6次調査の現地説明会の時期は面白かった。
というのは今城塚古墳は考古学ファンなら常識になっている事であるが、継体天皇陵である。
しかし、継体天皇陵と宮内庁が治定しているのは大阪府茨木市の太田茶臼山古墳(全長226m)であるが、現在、護岸工事に伴って発掘調査が行われている。
そして、この茶臼山古墳の発掘で出てきた埴輪は形や刻まれた印などから近くの高槻市新池遺跡の窯で作られたもので作成時期が450年頃の作成である。
継体天皇は日本書紀では531年に薨去したとされていることから約80年前に埴輪が作られていたことになり、継体天皇陵の治定を見直さなければならないだろう。
さて、本題に戻ろう。
今回の調査は左図の青色部分です。
赤色部分の調査では日本最大の家形埴輪(高さ170cm、幅102cm、奥行き78cm)が発見され話題にもなりましたが、今回はこういった目玉に当たるものはありませんでした。
概要を説明しますと内堤の外堀側に円筒埴輪が並び、これは第5次調査の延長線上で、当然に予想されていたものです。
形象埴輪は家形3、柵形10、蓋(きぬがさ)形2、大刀形4、巫女(みこ)形2、馬であろう動物形9、水鳥形2など約30点以上が見つかっているが、第5次調査の時のような大きなものは発見されていない。
この内柵形埴輪は2箇所で形象埴輪群を仕切るように並んでおり、その意味合いが何かあるようですが、柵形埴輪自体他の古墳には見られないものであり結論付けることはできない。
左の写真は円筒埴輪
左の写真の斜めに並んでいるのが柵形埴輪で、今回は4条の並びが発見された。
写真右側の埴輪は蓋(きぬがさ)形埴輪の一部。
これが家形埴輪なんだって、写真では全然分からないけど高床式の柱や千木、鰹木なんかも出土している。
千木というのは神社の屋根の両側に斜め上に突きだした棒のようなものがあるけど、その突きだした部分。鰹木というのは同じく神社の屋根の天辺に乗っかている丸太ん棒みたいなもの。
水鳥と動物(馬?)形埴輪
水鳥は嘴がついているのが判断材料となっている。
鶏という見方も可能である。
動物は4本の足が見つかっただけであるため何であるかは判断できないが、馬と見てよいだろう。
内堤は礫土を盛り作り上げたもので、横断面にはっきりとした地質の違いを見ることができた。
造出(つくりだし)
造出というのは前方部と後円部の間だのクビレ部分に作られた張り出しのこと。
ここからは円筒埴輪と須恵器が発見され、形象埴輪は発見されていません。
左の写真は右側が造出の基底部で左側が造出の断面。
土質の違いをはっきり見ることができる。
右の写真では左下の白い部分が基底部で、その上に砂礫が有ったことが伺える。
そして内濠になっていたため、黒い泥が堆積していった。その上にここが信長達の戦国武将が砦として使用し、新しい土が盛られたのだろうか。
地震で土砂が崩れ落ちたとも言われている。
出土品
左から巫女、鋤、形象埴輪
須恵器 刀装具
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