宇治市

今日は10時JR宇治駅に集合ここで10人が集まった。15分に京阪宇治駅で1人が加わって総勢11名となった。
写真はJR宇治駅です。
天気が悪いように見えますが駅が白っぽいもので露出が絞られたもので、実際には太陽が照っていて明るいのです。

















菟道稚郎子(うじのわきいらつこ 宇遅和紀郎子)

菟道稚郎子は西暦500年代初頭、応神天皇の皇子とされています。
日本書紀によると、応神天皇は数多の皇子の中でも秀俊の誉れ稚郎子を皇太子と定めて亡くなりました。
しかし、大山守命(おおやまもりのみこと)という兄は自分が皇位を継ぎたかったのか稚郎子と争いになり(古事記より)、稚郎子に滅ぼされました。
稚郎子はもう一人の兄の大鷦鷯(おおささぎ、仁徳天皇)こそが皇位を継ぐべきだと云い、大鷦鷯も父の言葉に背くことはできないと云い、お互いに譲り合いましたが、譲り合うこと三年、ついには兄をたてて自らの命を断ったという話が残っています。
また墓は菟道の山に葬ったと記されていることから、実際にはこの場所ではなく、私見ではありますがここより東1Kmの大吉山ではないかと想像しております。
「播磨国風土記」には「宇治天皇」との記述も見られ、応神天皇の次の天皇であったことは否定できません。



                            



厳島神社


厳島神社というからには宗像の三神の湍津姫、田心姫、市杵島姫命(いつきしまひめのみこと)を祀る神社なのでしょうが宇治市民の中でもこの神社の存在を知っている人は少ないと思います。
写真の社には左から稲荷大神、八幡大神、菅原大神、熊野大神の扁額掛かっており、四棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った形式の建物でした。

                          


隼上り(はやあがり)2号墳

現在は写真のように夏草が覆っており、よく分からないような状態でした。
ただ、これだけでもよく保存された方と言うべきなのでしょう。大概は潰されてあとかたも残っていないのですが。



隼上り瓦窯跡

昭和57年宅地開発に伴う発掘調査で明らかになった日本最古に属する瓦生産遺跡です。
遺跡は瓦窯跡郡と工房跡に分かれています。
瓦窯跡は丘陵斜面に構築された全長10mほどの登り窯で4基が確認されました。工房跡は瓦窯跡西側30mの地点に築かれており、7棟の建物跡や粘土貯蔵穴など瓦生産関連以降が発見されました。

 出土品には多量の瓦類と須恵器類があります。瓦の文様は、典型的な高句麗様式を主体としており、ここで生産された瓦は驚くべきことに7世紀前半頃に蘇我氏が飛鳥に建立した豊浦寺で用いられています 瓦窯跡は発掘調査後埋め戻され現在は写真のように公園になっています。

豊浦寺については552(欽明13)年に百済の聖明王から送られた金銅の釈迦像を蘇我稲目が自宅に祀っていました。
603年、推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移ったため、豊浦宮は蘇我馬子が譲り受け尼寺とし、この釈迦像を祀ったということです。
平成5年の寺跡の調査では、建物の伽藍配置が飛鳥寺と同じであることも判明しています。
また寺の講堂だったと考えられる場所の下からは、6世紀末から7世紀初のものとみられる遺構が発見されており、宮跡を寺にしたという『日本書紀』の記述通りなのだそうです。


       



バーベキュー
今日は史跡めぐりをこれだけにして宇治川の川原(京滋バイパス下)でバーベキューパーティをしました。


秋本番に向けて早速中国産ではありますが、焼き松茸などもいただき、お酒の肴用にシシャモなども焼いてみました。
川原で釣を楽しんでいる人もいました。
今日はモロコばかりが釣れると顔をほころばして自慢げにおっしゃっていたのが印象的でした。
蛇足ながら仕掛けは道糸3号幹糸2号エダス1号7本針疑似餌で浮き下4mでした。





                        95回(京都伏見)     97回(山辺の道)




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