成務天皇陵

成務天皇は景行天皇の子供なのですが、異母兄弟にあの有名な日本武尊(やまとたける)がいます。
日本武尊は日本中を駆け巡り大和朝廷の統治地域を拡大した人です。
何故、次期天皇にならなかったのか疑問の残るところですね。
成務天皇は国造、県主を定めるなど、地方行政組織を整備した天皇で日本武尊の働き無しには考えられない成果だったのでしょう。

ですから成務天皇の皇太子は実子の和訶奴気王ではなく、日本武尊の息子を皇太子にしました。
この皇太子がこの後行く神功皇后の旦那様である仲哀天皇なのです。
仲哀天皇は日本武尊の子供であるけれどもう一つ冴えない天皇でした。そのかわり皇后の神功皇后は驚くべき皇后だったのです。
                                     



神功(じんぐう)皇后陵


佐紀古墳群の北西地域にある、4世紀末〜5世紀初めの古墳で全長275メートル。佐紀盾列古墳群の中では最も大きい古墳です。
神功皇后は仲哀天皇の皇后で応神天皇の母親であり、記紀には応神天皇と共にその活躍が記述されている。
また皇后は、妊娠中、武内宿弥(たけのうちのすくね)とともに海を渡り、三韓(新羅・百済・高句麗)を降伏させて日本に帰る。
行動力としては大したものだ。
 日本には10万余りの神社があるが4分の1は八幡社で、数では日本一であるが、
八幡神として崇められているのは応神天皇で神功皇后は母親であることから八幡社の多くは親子を共に祭神として祀っている。



  神功皇后については歴史おもしろやかたのど根性母ちゃんでも取り上げていますので参考にして下さい。




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