東寺(教王護国寺)                                     17年12月18日(日)


 延暦13年(794)10月、京都の地に遷都が成され、平安京と名付けられた。
律令政治の改新を目指した桓武天皇の専制的な造都である。遷都前の長岡京では藤原種継の暗殺に始まる早良親王の廃太子と死。その亡骸を淡路島に流すという死後処刑。これによって長岡京では祟りが問題となってきた。
桓武天皇の母である高野新笠の死、皇后乙牟漏の相次ぐ死、連年の天変地異、流行病により僅か10年で長岡京を去らざるを得なかった。
藤原小黒麻呂を造宮太夫として新京予定地を探させた。
新京の条件は「四神相応之地」であることだった。
つまり、北に玄武(大岩)、南に朱雀(大池)、東に青竜(大川)、西に白虎(大道)がある地形をさしている。
それに該当するものといえば船岡山、巨椋池、鴨川、山陰道である。
平安京の中央には南北に幅員85mの朱雀大路が作られ、南端に羅城門が築かれた。
この羅城門の両側に東寺と西寺の二大官寺が作られたのである。

 10時に京都駅中央口に集合して、一路東寺に向けて歩き出す。
駅の正面は大きなビルがあるのに対して、南側はひっそりした感じだ。

八条口から西に向うことにした。


 近鉄のガード下でもう一枚。
今日は、目的地は東寺のみで、後は忘年会。
今回はこれが主目的かも知れない。(笑)


下の写真は油小路八条から見た京都駅。
この辺りまで来れば北側の駅ビルも見えてくる。

 大宮通りと九条通りの交差点まで来ると東寺はこのように見える。
東寺は823年、嵯峨天皇から空海(弘法大師)に下賜されて真言密教の道場となり、教王護国寺と称されるようになった。

伽藍配置は、奈良時代の寺院建築形式で、南大門、金堂、講堂、食堂、・北大門が一直線に並んでいる。
南大門の東に五重塔、西に潅頂院が存在している。

東寺は平安後期には一時期衰退するが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様」と呼ばれ毎月命日の21には市が開かれるようになった。
五重塔(国宝)

弘法大師の創建着手にはじまるが、消失してしまっている。
再建も4回なされており、現在のものは5代目にあたる。

この塔は1643年、徳川家光の寄進によって再建されたもので、高さ55mで五重塔としては最大のものである。


 東寺の南側には堀が巡らされているが、連日の寒さで氷が張っており、昨夜の雪のため薄っすらと白くなっていた。


 南大門であるが、この前は国道1号線で交通量も多く、横断歩道もないため道を渡ることができず、南大門の全景が撮れなかった。

金堂
この金堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として1603年に再興したものである。
奈良東大寺を思い起こすような天竺様の構造法を用いた桃山時代の代表的建築で、広大な空間の中に薬師如来像、日光、月光の菩薩像の三尊像が安置されている。
細部には唐、和風の混合技術もすばらしい。


講堂
 1491年室町時代に再建された。堂内には大日如来を中心に五仏、全体では21体の密教彫像が安置されている。向って右に菩薩5体、左に五明王、壇上四隅には四天王像、東西端には梵天、帝釈天像など計二十一体の仏像が安置されている。
これを弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅というらしい。

食堂(じきどう)
僧侶が斎時に集まって食事をしたところ。創建は不詳であるが877年(元慶元年)といわれている。
ここには足利尊氏もここに居住していたことがある。
昭和5年の火災で焼失したが、現在の建物は昭和9年4月に再建されたものである。
本尊の千手観音立像も火災で焼損し黒焦げになってしまったが、修復され現在は宝物館に安置されている。

小子坊
 1336年6月14日から半年間、北朝の光厳上皇はここで政務を見ることとなり、食堂には尊氏が居住していたのも納得のいく話である。

現在の建物は昭和9年弘法大師1100年遠忌の記念行事として新築されたものである。


大師堂(御影堂)
南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂である。この堂のある一画を「西院」といい、空海の住房跡とされている。
桧皮葺の屋根が美しく柔らかさを感じさせてくれる建物である。
1379年の火災により焼失したが、1380年には再建され現在に至っている。
この堂には空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝)が安置され、堂の奥には弘法大師坐像(国宝)も安置されている。

この像の前では、毎朝「お大師様」に朝食をお供えする「生身供」(しょうじんく)が執り行われ、弘法大師が今も生きているこのようである。


よく分らないが、この亀の頭を撫でるといい事が起こるとされているが、信仰心のない私はカメラのシャッターを押しただけだった。



 12月の例会といえば毎年決って忘年会。
忘れなければいけないようなことはないが、歳を取るのだけは忘れたいものである。






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