16年4月24日(土)
   カノン  by Edward 様

御室仁和寺

 仁和寺といえば吉田兼好の徒然草で有名な。「仁和寺に、ある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて・・・」の一説が頭に浮かびます。
では、仁和寺とはどういう寺かというと
 光孝天皇(58代)が先帝の菩提を弔うため「西山御願寺」という寺を建立しようとしました。しかし寺が完成する前に天皇は薨去したのでした。
その意志を59代宇多天皇が継いで888年に完成させ、その名前が仁和寺と呼ばれたのが始まりなのです。
光孝天皇というとあまり知られていないけど、この歌なら知っている人は大勢いるでしょうね。
 君がため 春の野に出でて若菜つむ
      我が衣手に 雪は降りつつ

宇多天皇というのは光孝天皇の第3皇子で、867年母を班子女王から生まれる。
一旦は臣籍に下って源姓を名乗ったが887年(仁和3年)光孝天皇の崩御直前に藤原基経らの推挙によって親王となり、翌日に即位し第59代天皇となった。

ここで余談だが「源氏」について一言。
 中国で西暦400年頃、南涼という地方政権があった。南涼の禿髪破羌(源賀)は、もともと拓跋氏と同一氏族であったことから源氏を与えられている。
中国の魏の始祖が同族である河西王の子の賀のときに 「卿と朕は源を同じうす。事に因って姓を分かつ。今より源を氏となすべし」として源姓を与えたという故事があり、日本の源氏性というのはこれに習ったと言われている。それが平安時代に入って2代目の嵯峨天皇から源氏性が始まりではないか。
源氏の最も栄えたのは清和源氏で源経基、頼光、頼朝、足利尊氏、自称ではあるが徳川家康等が出ている。
ところがこの清和源氏というのは実は陽成天皇の子孫で陽成源氏なのです。
石清水文書(源頼信願文)では「敬んで先祖ノ本系を明め奉れば、大菩薩の聖体は、恭けなくも某の二十二世の氏祖なり。
先人は新発意、その先は経基、その先は元平親王、その先は陽成天皇、その先は清和天皇(中略)曾祖の陽成天皇は、権現の十八代の孫なり。
頼信は彼ノ天皇の四世の孫なり」
つまり陽成天皇の子供が元平親王でその子供が経基なのです。ところが陽成天皇というのは暴虐な行動が絶えず、「悪君の極」とか「亡国ノ王」などと呼ばれる狂気の天皇であって、17歳の時には殺人事件まで起こして皇位を退かされています。
この天皇を始祖にするわけにはいかず、もう一代遡って清和天皇にしてしまったのだろう。
余談をもう一つ、征夷大将軍というのは源氏からしか出ないという暗黙の了解でも会ったのでしょうか?
鎌倉も室町も江戸時代もそうだった。ところが秀吉は征夷大将軍にはなれなかった。替わりに「太閤関白」なんて称号をもらっていますね。

いつも余談が長くて済みません。この寺は鎌倉時代まで皇室の尊崇と貴族の庇護を受け栄えていました。
ところが1467年に始まった応仁の乱により、京都の町は戦火に見舞われこの寺も同等伽藍・子院もすべて焼き尽くされたのでした。
復興したのは徳川家光さんですよ。かれはなかなかの優れ者で他にもいっぱい文化的貢献をしていますね。

我々一同は10時に上の写真の山門前に集合しました。
この山門は寺では「二王門」と言うらしい。
門の両側には金剛力士像が立っているのに因むのでしょう。
この門は知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に京都の三大門と呼ばれている和様の建造物なのです。
左の写真はこの門を潜って中に入ったところです。
二王門は
二王門から下の写真の中門までは実に広くのんびりした感じで、都会の喧騒を忘れさせてくれるには十分な空間なのです。



この時期八重桜はまだ残ってましたが、京都でも遅咲きで有名な御室の桜は既に葉桜になっていました。
左が本日の様子。下が満開時の様子です。
京都では「わたしゃお多福御室の桜、鼻(花)が低うても人が好く」と唄われて御室の桜といえば不美人の人のことを指しているのです。


天気もよく五重塔も風景にマッチして絵になりますね。
上の写真は白い花の藤です。紫の藤よりも花の数は少なめでしょうか?


中門を入った右手に休憩所があります。その休憩所にも弘法大師がいらっしゃいました。

金堂
この寺の本尊は阿弥陀三尊像です。
その阿弥陀三尊が祀られているのがこの建物。
金堂は慶長年間に京都御所より移築されたもので、
元は「紫宸殿」だった建物です。
移築の時、屋根が「桧皮葺」から「本瓦葺」に変わっていますが、みごとな建築です。
国宝に指定されているの頷けるというものです。


左のつつじは紅白が入り混じりまさに満開状態。
綺麗なのでついついシャッターを押してしまいました。







 仁和寺の西門を出ると御室八十八ヶ所巡りがあります。
仁和寺の第二十九世門跡済仁法親王のとき(1827年)久富遠江守が四国八十八ヶ所霊場を巡り各霊場の砂を持ち帰り各お堂に埋めたのがはじまりです。
約3Kmのコースで2時間もあれば我々中年でも十分廻れるコースです。

 左の写真何だか分かります?

お参りするのにお賽銭を持って行かない訳にはいかない。
でも八十八ヶ所ともなれば1ヶ所100円とすれば8,800円
これは貧乏人の私にとっては耐えられない。
10円でも880円、これも信仰心を持ち合わせていない私にとっては辛い金額です。
この際1円にしておこう。
前日に銀行で両替しておいてこれで準備万端?(笑)
今日の日に望みました。

          第1番札所からスタートです。

          大体のお堂はこんな感じです。

                         お堂の中は弘法大師像と

それぞれの寺のご本尊が祀られていました。




           こんな山道もあります。

途中ご覧のように数人の団体で1宇1宇づつお経を詠みながら廻っていらっしゃいました方々に逢いました。
年齢は50代後半でしょうか?

  途中のお堂としてはここが一番立派じゃないでしょうか 

  御堂内はこんな感じで埃だらけはしかたないとして
  普通の御堂のような感じです。

 コースの途中にはこんな景色のいいところもあります。
 京都市内が一望の下に見ることができました。

  第88番札所、ここで結願(けちがん)満願成就です。

         第88番札所の横にある水掛地蔵?

           シャクナゲが綺麗に咲いていました。

 仙台枝垂桜だそうです。
 まだ小さな苗ですが咲いています。
 しかも、時期的には遅いのですが。

   これも色が違うシャクナゲです。

左は山吹、上は木香薔薇(モッコウバラ)でしょうか?
花には詳しくないもので。

再び仁和寺に戻ってきました。お昼ごはんの時間です。
場所は観音堂の側でいただくことにしました。ここなら八重桜がまだ咲いていました。チョッとした花見気分かな。


観音堂は江戸初期に新築された御堂です。
観音堂中央にある蟇股(かえるまた)です。軒を支えるというより装飾品として役割を果たしています。
大型でいかにも江戸初期の作品と思われます。

この桜の下で食事しました。
左のもみじは爽やかな新緑、落ち着きますね。
食事をしていると観音堂の掃除が始まりました。写真では一人のお坊さんだけしか写っていませんが20人ぐらいで掃除されてました。
埃が飛んでくる〜!
 ん?ふと見ると、なんやこれ?
最後に記念撮影をして今日のページをお開きにいたします。






             第102回枚方市牧野        第104回近江八幡



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